座右の銘「グーで殴る」

セカンド童貞がお金持ちのお嬢様のリムジンに轢かれた事をきっかけに逆玉に乗るまでの日々

平成に生まれた僕たちは

もうわからんね。人生が。


終身雇用の時代は終わった、と言いながら給料は年功序列のまま。大企業には首切りが横行する。


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190422-00010000-flash-peo


名だたる「社員に優しい」大企業も平然と「コスト」がかさむ中年を淘汰させていく。


明確な目標設定は現在とのギャップを認識しやすいから、頑張りやすいし、習性が効きやすいと思う。


僕らは子供の頃から勉強しなさい、と言われてきた。


それはいい高校に行けば、いい大学に入れて、いい大学に入れば、いい会社に入れると教わってきたからだ。


幸せは20〜30で結婚して、一姫二太郎を授かり、車を買い、年に1度海外旅行へ行くこと。


そういった明確な幸せのビジョンがあった。


今はなんだ。


頑張っていい会社に入っても、年々若くなる役職定年。でも景気のいい会社は組織を若返らそうととんでもない数の新入社員を採る。


彼らを教育する現場社員の仕事は減らない。

部下のミスはきちんと上司のミスになっても、その対策を立てるという仕事は減らない。


新卒採用は大学1年からになって、「あんなに遊び呆けてたやつが、たった数回の面接で受かるなんて…!」とよく聞く話は無くなるのかもしれない。


でも、遊びを(ひいてはコミュニケーションを)知らない学生が、本当に良いのだろうか?


受験で戦い疲れた心を、人生の夏休みという止まり木で癒して、以後40年戦えるのであれば、それで良いのではないだろうか?(俺は週6で教育の勉強してたけど)


先が見えないね。本当に。

誰も自分の人生の責任を取ってくれない。


じゃあ、手に職つけろよという話になるが、今20代から手に職をつけて独立できる仕事は、だいたい供給過多か、制度に依存している気がする。


本当に平成に生まれた僕らは、どこに行くのだろう。


「どこまで歩けば褒めてくれるんだよ!!」


ピンポンのアクマの台詞が脳裏に浮かぶ。




あけおめの最適化

という文字があけおめLINEを貰うたび脳裏によぎる。


去年、一昨年はバイト先とか、なんやかんやからグループラインを貰った気がするのだが、今年は何人かから個人的に貰っただけだった。みんなも正直めんどいのでは。


あけおメールなんて、よう考えたななんて思ってたらいつのまにかLINEになって、CDはサイズ変わったと思ったらMDになってmp3になって、平成はまさしく激動の時代だな、なんて平成生まれは思います。ハンバーガー60円くらいの時、駄菓子屋行かなかったもんな〜。


そんな平成最後の年の暮れは、28日に仕事を納めて、忘年会して、その次の日に仲が良い同期の家に泊まった。


最近引っ越したばかりで、転居祝いとして食器を少しプレゼントして、鍋をした。


貯金が無事2018年度の目標額に達したので、一人暮らしを本格的に意識し始め、配線コードめっちゃ用意する必要があることと、洗濯機は高くても乾燥機付きが良いことを学んだ。


鍋は簡単で楽しくて、共同作業感があって、とても良い。しかもあったかくて美味しい。


お昼まで寝てから、大井町でちょっといい寿司を食べ、家に一度帰って愛犬を愛でてから、京橋に元バイト先の集まりに向かった。


バイトを辞めて2年になるが、未だに誘ってくれるのはすごく嬉しい。


大学時代に可愛がってた後輩から、誕生日プレゼントを貰った。


大学時代はプレゼントを貰った時のリアクションが良くないと言われたけど、めちゃめちゃ嬉しかった。


しかも高い靴下というのが、俺の自分じゃ買わない妥協ポイントをよく理解してもらっている気がしてとても嬉しかった。




クリスマスの付近は何かしらの行動の節々に、恋人の文字がチラつくのが嫌で、仲の良い異性も軽く誘えず、同性は彼女だったり未来の彼女だったり、行きずりの女と会ったりするので誘えず、自分も彼女いたらいたで、しっかり準備しなきゃいけない感じがまじやだ。


一方26からの消化試合感と、仕事納め感がまじで好き。超好き。

その年のロスタイム感というか、おまけ感というか、好きにしていい感じマジラヴ。


年末は時間がないと先送りにしていたことにちょっと挑んだ。


よくわからんと敬遠していたふるさと納税は、滑り込みでなんとか達成。


iPhone SEのバッテリー交換はいろいろあって間に合わなかった。最新のOSにして、お気に入りだったアプリも使えなくて、充電の減りも早くて、まじ悲しみしかない。


年明けは積立NISAをやってみようと思う。貯金の増えるスピードに対して、ライフステージがあってないことに気づいた。


iDeCoと投信もやってみようかと思う。株は気が弱いので合わなそう。


無理しない程度に、色んなことを始めれたら、アラサーに相応しい人間になれる気がする。


あと、これはクリスマスより前だけど、二度と会えないだろうと思ってた人に会えた。


SNSは人と繋がり続けるのに便利だけど、逆にいうとそれでしか繋がってなくて、親指で打った記号で粗が出たとき、そっと関係が終わる。


それもそれでしょうがないか、と思っていたけど、なんの気まぐれか、はたまたクリスマスを前に寂しかったのか、ごめんねという文字をきちんと思いを込めて打ったら向こうからも同じ文字が帰ってきた。


やっぱり自分は捨てれないというか、拾ったものに救われるタイプだなと思った。


なんか眠くていつもより真面目な備忘録になってしまったけど、この年末気持ちは、書き留めておく意義があると思った。


もう年明けだけど。あけおめです。








その先を知ってしまった僕たちは

ずーっと書きかけだったブログを完成させた。


この記事を書き始めたのは、お盆だったはずなのに、あれよあれよと日々は並べてもう年末だ。


休みをうまく使えない。ゴールデンウィークも、お盆も、年末年始も。


というのも、理由は2つ。

①睡眠が俺の全てであるから

②予定を立てるのが遅い。というか予定というものへの重要性をあまり感じていない

毎年、長期休暇を密なものにすることをご先祖様に誓うのだが、思ったようにいかないのが人生。

もう25歳になると「こうなると思ったよ〜」の連続だ。自分の"再現性"を学んでしまった。

長期休暇の宿題はだいたい休み明けてから、最初の授業までにやる。

大事なじゃんけん、大概負ける。

お互い気があるうちに仕掛けなすぎて、恋人になるチャンスを失う。

その日にやろうと思ったことの7割をこなせて及第点。

腹を立てた後、あとあとこうすればよかったと、布団で足をバタつかせる。

痩せたいと願いながら、ラ餃チャセット(最近メニューから消えたし、値上げした)を食べてしまうこと。

もう、わかっているんだ。

多くの自分の再現性は、ロクなことを生まない。愛憎入り混じった誰かを傷つける時、大概同じようにしてしまう。

やになっちゃうよね。負け戦を感じながら戦うなんて、そんなキツいことはない。

高校生になって、いともたやすく恋愛をコントロールできるようになった気でいて、

大学でも責任感のない恋みたいな何かばかりしてたけど、年を重ねるごとに恋愛は難しくなるばかりだね。

再現性は反復であり、それがまた起きるという奇跡だ。

先日高校の同級生に会った。
もう8年経とうとしてるのに、未だになかなかの頻度で連絡を取り、面と向かって酒を飲む(俺は飲まないけど)

何を言えば、みんながわらってくれるのか、手に取るようにわかる。

犬も食わないような下ネタを、ビールではなくハイボールを片手に嗜む時、俺たちは過去に置いてきた永遠の18歳に肩を並べることが許されるのだ。

みんな、地元を離れていく。
かく言う俺も、せっせと独り立ちの準備をしている。
なんなら既に1人、関東にはいない。

この再現性も無限じゃない。
でもこの奇跡が続く限り、どうか、たくさん笑わせて。




セミが脱皮してた話

をすげぇちゃんと書いたんだけど、消えてしまった。


サファリはほっとくと書きかけの記事を遥か彼方へ消し去ってしまう。


要はセミの羽化に生まれて初めて立ち会った?んだけど、すごいのよ。生と死が。


アリがめっちゃたかるのよ。で、めっちゃ足に嚙みつく。まだ柔らかいセミを地面に落として、かつてセミだった食料にしようとするわけ。


やばくない?ずーっと見入っちゃって、セミの足にアリが嚙みついて振りほどこうとする度、息を呑むとはこのことかって感じだった。


結局足一本で葉っぱに捕まるくらいまでセミが追い詰められちゃって、一回他の葉っぱで押し上げてあげたんだけど、結局落ちて夏の夜の中に来てっちゃったんだよね。


昔、花火してたら、セミの幼虫が地面から出てくるところに遭遇した。


インスタントカメラで経過を撮ろうと思って、とりあえず虫カゴにいれた。


その次の夜はセミは羽化しなかった。その次もその次も。で、死んだ。


そんなことを思い出した夏の夜であった。タイミングって大事だね。


光陰矢の如し

このブログを書く前、日高屋でラ餃チャセットを食べた。

550円だった。予定調和な美味しさがたまらん。

油脂を食べると脳が興奮部質を出す、なんて言われてる。

10時間ほど何も与えなかった胃に、クソほどトランス脂肪酸をぶち込むと、確かに明日もまた頑張れる気がするのだ。

ラ餃チャセットとは、半ラーメン、餃子3つ、半チャーハンを一度に楽しめる、言わば中華料理の酒池肉林の権化だ。カロリーのキングギドラ。炭水化物のユニゾンスクエアガーデン。塩分のトリリンガル

これを550円で食えるうちは日本は廃れちゃいない。黄金の国、ジパング

ラ餃チャセットを食いながら、特茶をがぶ飲みした。Wすこやか茶は毎食摂取が前提だし、黒ウーロン茶も2本程度が目安だったはず。

特茶飲むくらいなら、脂肪のハットトリックことラ餃チャセットなんて嗜むなよ、と思うなかれ。

社会人になってからこんな感じだ。

今日で社会人2年目になった。
正味まだわからないことだらけだし、なんなら今日もだいぶ初歩的なミスをやらかした。

働くことって痛いなって思った。
ダサいって意味の痛いじゃなくて、SAWかなんかでカミソリの檻に閉じ込められる奴があったと思うんだけど、あんな感じ。

自分は特別だと学生の頃はよく思った。今もだけど中高は睡眠をコントロールできず、よく授業中に寝ていた。

大それたテスト対策をしなくても、平均より上の点数を取れる自分のことを割と好意的に見ていた。

特別だ。という自意識は、努力から逃げる口実を作る。

だって、特別な自分は、人と同じ努力量で、同じだけの成長幅しか持てなかったら、特別ではなくなってしまうからだ。

いつだって怖かった。自分の可能性の底を見るのが。100%の努力をして、自分ができると思っていたことができなかった時、何かが崩れてしまう気がした。

社会人になってから、嫌でも自分の底をまざまざと見せつけられる。

もう自分が特別ではない、次の山にいることを理解させられる。

同期は優秀で、それこそ「頭がいい奴」へのカウンターとして、自分の握りこぶしの中にあっためてきた、ユーモア、雑学、カルチャーへの知識、どれをとっても勝てない奴が多い。

自分が切り札にしていた「勉強以外に大事なことがある」という常套句に対して、「勉強以外の大事なことのために勉強してきた」人たちに囲まれてしまった。

会社は至極単純な構造で、できる奴には信頼がつき、どんどん仕事が降ってくる。数で信頼が見える。

もう努力しない理由は見つからなかった。痛くて、厳しい。

仕事は見えないピアノ線で、何も問題ないと思って進めば、右手首が切落とされている、みたいなことがザラにある。問題の輪郭が見えない。

それでも、いずれ自分がしたい仕事をするために、価値があると思うことを実現するために、痛くてみっともないけど、やるしかない。

もう先生や教授はいなくて、目の前には上司という評価者しかいないのだから。

だから、今日ももう、どんだけ食っても腹に肉がつかない時期は終わったことを認め、ダセェなと思いながら特茶とラ餃チャセットを食うのだった。

痛みを、自分の非を認めながら、欲望に甘んじつつ、自分は特別でないことを噛み締める。

金曜日までの4日間、まだまだ戦わなかきゃいけない。

まだまだ。




死ねとかキモいとか毎度凹む

今日は携わってるコンテンツの言わば発表会みたいなのがあって、その視察に行った。


箱はまぁ遠くて、遠くて遠くて、小牧長久手って感じだったんだけど(日本史専攻じゃない人ごめん)


自分が携わってるものを待ってる人がこんだけいて、こんだけ楽しんでくれて、普段はパソコンに向かって延々マウス動かしながらうんこしたいって思ってるだけだけど


ブラウン管?ブルーライトの向こうにはまじで生身の人間がいて、自分が作ったビラの向こうに1万人の顔と人生があって


「明日が楽しみ」って言ってるのを今日の視察のすれ違いざまに聞いて(イベントは3days)


本当に本当に嬉しくて、キラキラ社会人を気取るわけじゃないけど、本当に色んなことを諦めなくてよかったなって思った。


なんかよくわかんないけど、今の会社がダメだったら行こうと思ってた会社のやつらとなぜかまだ縁があって、イベント終わりに全国転勤から一時研修で帰ってきた何人かが電話をくれた。嬉しい。


大人になったら、社会人になったら、もう友達は増えないと思ってた。

父親は生まれてこのかた千葉の片田舎にずーっといるのに、友達と遊んでるところは見たことがなかった。


俺は自分でもなかなかいい奴だと思ってるし、他人に好かれる不断の努力はしてるつもりだけど、そんなに素直に求められると、自分にそれほどの価値があるのか疑問視してしまう。


変なところには自信がない。くそ嬉しいけど。ある一面に関しての自信は鋼の如しだけど、その対面はガラスだったりする。


友達と知り合いやその他の違いは、どんなに忙しかったり疲れてても会えるかだと思う。


この気持ちみたいなのを、なんとなく書き留めて、誰かの目に触れることで、素敵な何かが起こればいいなと思った。


話は変わって、大学に入ってから自分のキャラを少し変えた。高校の頃はピエロにだけはなりたくなくて、どっかでカッコつけてたけど完全にここ何年かの振る舞いはピエロそのものだった。その方が楽だった。その分モテなくなったけど。


会社でもそのキャラの方がやりやすいかな、と思ってキャラを貫くんだけど、キモいってツッコミが来るであろうことをした時に、ナチュラルにキモいって言われると、ちょっと凹んでしまう。


思えば大学までイカれてるはまぁまぁ言われてたけど、キモいとか死ねとかはあまり言われなかったから耐性がまるでない。他人にはめちゃくそ言ってたけど。殺すぞ、はなんとなく愛を感じる。わかるこれ?


社会人になって、一応自分で金を稼ぎ始めて、親にも対等な口をきいたりするけど、大学四年から最近の自分はちょっと慇懃無礼だったかなと内省した。


またまた話は変わって、先日会社の同期と伊豆ぐらんぱる公園に行った。白痴の如くにトランポリンに興じた。


知ってる?30秒トランポリンで跳ねると地上でジャンプできなくなるんだぜ。びっくりしたわ。ハンガー頭につけて首曲がる奴と一緒。


酒なんか飲まなくたって、その勢いで悪口ぶちまけたり女の子のおっぱい触んなくたって、楽しいことはたくさんある。


最近忙しいとか疲れたを言い訳にしてたから、もっと楽しいことをしようと思った。

コンプライアンス的にNGで

SIRENというホラーゲームがPS2で発売された。


CMがまじ神懸かっていて、(今となっては)ポリゴンが荒いなりに、逆に恐怖をかき立てるようなものだった。


最近だとカップヌードル矢口真里と新垣さん(佐村河内のゴーストライター)が先生になって失敗を説く、みたいなCMがクレームで放送中止になった。


ファミマかなんかのフォアグラ弁当かなんかも発売前にクレームで販売中止になった。


全部コンプラでダメになった。

敢えて言おう、バカなんじゃねぇの?


フォアグラが残酷って、それは最初にめっちゃ鳥脂肪肝にしてそれ食ったら美味いんじゃね?って思った変態サイコパス野郎に言えよ。


全然世間的に受け入れ態勢だったじゃん!世界三大珍味とか言って食う気満々でしたやん!今に始まったことではないですやん!なんじゃその手のひらクルーは!!!


他人と自分の感度や尺度が、違っている時になぜ穏やかな方に合わせないといけないのだろうか。

完全に今の台詞も自分の価値観だけど。


でもさ、まじでさ、テレビという箱の中のエンターテイメントと、こうやって細々暮らす俺たちの世界は地続きであって地続きでないじゃないすか。


MOZUで西島さんが項垂れながらタバコ吸うのがかっこいいのに、子供が憧れるから辞めてくださいってアホちゃいますか!

雨の中西島さんが傘ささずにチュッパチャプスとか舐めたらどう?かっこいい?うーん、西島さんかっこいいし普通にかっこいいかもな…


言えば通る感じだからとりあえず文句かましとくか!みたいな感じ、少なからずあると思うんだよね。


そんなにみんなテレビの中に影響受けるなら、世の中みんな善人だわ。24時間テレビの甘ったるい慈愛の精神に塗れとるわ。


他者共感能力と言ってしまえばそれっぽいのかもしれないが、他者を忖度する気持ちみたいなのが、ぼんやりとしていってる気がする。


バイトを辞めてから家族揃って飯を食べる機会が増え、それに伴ってテレビを見ることが増えた。

亀梨が若者の流行を探る!みたいな番組でJKに人気のカフェに潜入していた。


そこで何をしてるかって言うと、集まってくっちゃべってるらしい。やっぱコミュニケーションは面と向かってる方がいいよね、と思いながら俺も聞いていた。


そしたらラインでいいじゃん!と亀梨が言うとラインはスクショを撮られるとJKが言う。


要は悪口の言質を取られると厄介なので、集まって悪口を言うのが楽しいらしい。


俺も悪口は言うよ。人間だしさ、嫌いな人も納得いかないこともちゃんとあるし、なにより共通の敵を作るってのはコミュニティの結束に有益だ。


でも、だけどさ、どいつが裏切るかわかんねぇから、集まって足跡のつかない悪口言いまくるって、どんな心境なんだよって思った。レザボアドッグスかよ。


かくいう俺も他者共感が低く、テレビの虚構の前に踊らされてるのかもしんない。


だけど、他人を思いやるってそんなに規制塗れじゃないとできないないことなのかと考えてしまう。


おわり(・ω・)