座右の銘「グーで殴る」

セカンド童貞がお金持ちのお嬢様のリムジンに轢かれた事をきっかけに逆玉に乗るまでの日々

セミが脱皮してた話

をすげぇちゃんと書いたんだけど、消えてしまった。


サファリはほっとくと書きかけの記事を遥か彼方へ消し去ってしまう。


要はセミの羽化に生まれて初めて立ち会った?んだけど、すごいのよ。生と死が。


アリがめっちゃたかるのよ。で、めっちゃ足に嚙みつく。まだ柔らかいセミを地面に落として、かつてセミだった食料にしようとするわけ。


やばくない?ずーっと見入っちゃって、セミの足にアリが嚙みついて振りほどこうとする度、息を呑むとはこのことかって感じだった。


結局足一本で葉っぱに捕まるくらいまでセミが追い詰められちゃって、一回他の葉っぱで押し上げてあげたんだけど、結局落ちて夏の夜の中に来てっちゃったんだよね。


昔、花火してたら、セミの幼虫が地面から出てくるところに遭遇した。


インスタントカメラで経過を撮ろうと思って、とりあえず虫カゴにいれた。


その次の夜はセミは羽化しなかった。その次もその次も。で、死んだ。


そんなことを思い出した夏の夜であった。タイミングって大事だね。


光陰矢の如し

このブログを書く前、日高屋でラ餃チャセットを食べた。

550円だった。予定調和な美味しさがたまらん。

油脂を食べると脳が興奮部質を出す、なんて言われてる。

10時間ほど何も与えなかった胃に、クソほどトランス脂肪酸をぶち込むと、確かに明日もまた頑張れる気がするのだ。

ラ餃チャセットとは、半ラーメン、餃子3つ、半チャーハンを一度に楽しめる、言わば中華料理の酒池肉林の権化だ。カロリーのキングギドラ。炭水化物のユニゾンスクエアガーデン。塩分のトリリンガル

これを550円で食えるうちは日本は廃れちゃいない。黄金の国、ジパング

ラ餃チャセットを食いながら、特茶をがぶ飲みした。Wすこやか茶は毎食摂取が前提だし、黒ウーロン茶も2本程度が目安だったはず。

特茶飲むくらいなら、脂肪のハットトリックことラ餃チャセットなんて嗜むなよ、と思うなかれ。

社会人になってからこんな感じだ。

今日で社会人2年目になった。
正味まだわからないことだらけだし、なんなら今日もだいぶ初歩的なミスをやらかした。

働くことって痛いなって思った。
ダサいって意味の痛いじゃなくて、SAWかなんかでカミソリの檻に閉じ込められる奴があったと思うんだけど、あんな感じ。

自分は特別だと学生の頃はよく思った。今もだけど中高は睡眠をコントロールできず、よく授業中に寝ていた。

大それたテスト対策をしなくても、平均より上の点数を取れる自分のことを割と好意的に見ていた。

特別だ。という自意識は、努力から逃げる口実を作る。

だって、特別な自分は、人と同じ努力量で、同じだけの成長幅しか持てなかったら、特別ではなくなってしまうからだ。

いつだって怖かった。自分の可能性の底を見るのが。100%の努力をして、自分ができると思っていたことができなかった時、何かが崩れてしまう気がした。

社会人になってから、嫌でも自分の底をまざまざと見せつけられる。

もう自分が特別ではない、次の山にいることを理解させられる。

同期は優秀で、それこそ「頭がいい奴」へのカウンターとして、自分の握りこぶしの中にあっためてきた、ユーモア、雑学、カルチャーへの知識、どれをとっても勝てない奴が多い。

自分が切り札にしていた「勉強以外に大事なことがある」という常套句に対して、「勉強以外の大事なことのために勉強してきた」人たちに囲まれてしまった。

会社は至極単純な構造で、できる奴には信頼がつき、どんどん仕事が降ってくる。数で信頼が見える。

もう努力しない理由は見つからなかった。痛くて、厳しい。

仕事は見えないピアノ線で、何も問題ないと思って進めば、右手首が切落とされている、みたいなことがザラにある。問題の輪郭が見えない。

それでも、いずれ自分がしたい仕事をするために、価値があると思うことを実現するために、痛くてみっともないけど、やるしかない。

もう先生や教授はいなくて、目の前には上司という評価者しかいないのだから。

だから、今日ももう、どんだけ食っても腹に肉がつかない時期は終わったことを認め、ダセェなと思いながら特茶とラ餃チャセットを食うのだった。

痛みを、自分の非を認めながら、欲望に甘んじつつ、自分は特別でないことを噛み締める。

金曜日までの4日間、まだまだ戦わなかきゃいけない。

まだまだ。




死ねとかキモいとか毎度凹む

今日は携わってるコンテンツの言わば発表会みたいなのがあって、その視察に行った。


箱はまぁ遠くて、遠くて遠くて、小牧長久手って感じだったんだけど(日本史専攻じゃない人ごめん)


自分が携わってるものを待ってる人がこんだけいて、こんだけ楽しんでくれて、普段はパソコンに向かって延々マウス動かしながらうんこしたいって思ってるだけだけど


ブラウン管?ブルーライトの向こうにはまじで生身の人間がいて、自分が作ったビラの向こうに1万人の顔と人生があって


「明日が楽しみ」って言ってるのを今日の視察のすれ違いざまに聞いて(イベントは3days)


本当に本当に嬉しくて、キラキラ社会人を気取るわけじゃないけど、本当に色んなことを諦めなくてよかったなって思った。


なんかよくわかんないけど、今の会社がダメだったら行こうと思ってた会社のやつらとなぜかまだ縁があって、イベント終わりに全国転勤から一時研修で帰ってきた何人かが電話をくれた。嬉しい。


大人になったら、社会人になったら、もう友達は増えないと思ってた。

父親は生まれてこのかた千葉の片田舎にずーっといるのに、友達と遊んでるところは見たことがなかった。


俺は自分でもなかなかいい奴だと思ってるし、他人に好かれる不断の努力はしてるつもりだけど、そんなに素直に求められると、自分にそれほどの価値があるのか疑問視してしまう。


変なところには自信がない。くそ嬉しいけど。ある一面に関しての自信は鋼の如しだけど、その対面はガラスだったりする。


友達と知り合いやその他の違いは、どんなに忙しかったり疲れてても会えるかだと思う。


この気持ちみたいなのを、なんとなく書き留めて、誰かの目に触れることで、素敵な何かが起こればいいなと思った。


話は変わって、大学に入ってから自分のキャラを少し変えた。高校の頃はピエロにだけはなりたくなくて、どっかでカッコつけてたけど完全にここ何年かの振る舞いはピエロそのものだった。その方が楽だった。その分モテなくなったけど。


会社でもそのキャラの方がやりやすいかな、と思ってキャラを貫くんだけど、キモいってツッコミが来るであろうことをした時に、ナチュラルにキモいって言われると、ちょっと凹んでしまう。


思えば大学までイカれてるはまぁまぁ言われてたけど、キモいとか死ねとかはあまり言われなかったから耐性がまるでない。他人にはめちゃくそ言ってたけど。殺すぞ、はなんとなく愛を感じる。わかるこれ?


社会人になって、一応自分で金を稼ぎ始めて、親にも対等な口をきいたりするけど、大学四年から最近の自分はちょっと慇懃無礼だったかなと内省した。


またまた話は変わって、先日会社の同期と伊豆ぐらんぱる公園に行った。白痴の如くにトランポリンに興じた。


知ってる?30秒トランポリンで跳ねると地上でジャンプできなくなるんだぜ。びっくりしたわ。ハンガー頭につけて首曲がる奴と一緒。


酒なんか飲まなくたって、その勢いで悪口ぶちまけたり女の子のおっぱい触んなくたって、楽しいことはたくさんある。


最近忙しいとか疲れたを言い訳にしてたから、もっと楽しいことをしようと思った。

コンプライアンス的にNGで

SIRENというホラーゲームがPS2で発売された。


CMがまじ神懸かっていて、(今となっては)ポリゴンが荒いなりに、逆に恐怖をかき立てるようなものだった。


最近だとカップヌードル矢口真里と新垣さん(佐村河内のゴーストライター)が先生になって失敗を説く、みたいなCMがクレームで放送中止になった。


ファミマかなんかのフォアグラ弁当かなんかも発売前にクレームで販売中止になった。


全部コンプラでダメになった。

敢えて言おう、バカなんじゃねぇの?


フォアグラが残酷って、それは最初にめっちゃ鳥脂肪肝にしてそれ食ったら美味いんじゃね?って思った変態サイコパス野郎に言えよ。


全然世間的に受け入れ態勢だったじゃん!世界三大珍味とか言って食う気満々でしたやん!今に始まったことではないですやん!なんじゃその手のひらクルーは!!!


他人と自分の感度や尺度が、違っている時になぜ穏やかな方に合わせないといけないのだろうか。

完全に今の台詞も自分の価値観だけど。


でもさ、まじでさ、テレビという箱の中のエンターテイメントと、こうやって細々暮らす俺たちの世界は地続きであって地続きでないじゃないすか。


MOZUで西島さんが項垂れながらタバコ吸うのがかっこいいのに、子供が憧れるから辞めてくださいってアホちゃいますか!

雨の中西島さんが傘ささずにチュッパチャプスとか舐めたらどう?かっこいい?うーん、西島さんかっこいいし普通にかっこいいかもな…


言えば通る感じだからとりあえず文句かましとくか!みたいな感じ、少なからずあると思うんだよね。


そんなにみんなテレビの中に影響受けるなら、世の中みんな善人だわ。24時間テレビの甘ったるい慈愛の精神に塗れとるわ。


他者共感能力と言ってしまえばそれっぽいのかもしれないが、他者を忖度する気持ちみたいなのが、ぼんやりとしていってる気がする。


バイトを辞めてから家族揃って飯を食べる機会が増え、それに伴ってテレビを見ることが増えた。

亀梨が若者の流行を探る!みたいな番組でJKに人気のカフェに潜入していた。


そこで何をしてるかって言うと、集まってくっちゃべってるらしい。やっぱコミュニケーションは面と向かってる方がいいよね、と思いながら俺も聞いていた。


そしたらラインでいいじゃん!と亀梨が言うとラインはスクショを撮られるとJKが言う。


要は悪口の言質を取られると厄介なので、集まって悪口を言うのが楽しいらしい。


俺も悪口は言うよ。人間だしさ、嫌いな人も納得いかないこともちゃんとあるし、なにより共通の敵を作るってのはコミュニティの結束に有益だ。


でも、だけどさ、どいつが裏切るかわかんねぇから、集まって足跡のつかない悪口言いまくるって、どんな心境なんだよって思った。レザボアドッグスかよ。


かくいう俺も他者共感が低く、テレビの虚構の前に踊らされてるのかもしんない。


だけど、他人を思いやるってそんなに規制塗れじゃないとできないないことなのかと考えてしまう。


おわり(・ω・)

目を見て話せ

今日は会社の同期になる人たちと遊んできた。


今の時期真っ黒なスーツに身を染めた就活生をチラホラ見かける。自分も去年はそうであったのだが、同じ苦節を味わったものとして応援せずにはいられない。


そもそも就職活動とはなんたる茶番なんだろうか。4回程度の面接で俺の何がわかるというのか。それをわからせて、尚且つこいつと働きたいと思わせるのが就活というゲームなのだが、これには確実に得意不得意がある。


それなのに何故か就活は人間性を問われてる、と解釈されている風潮がある。就活を丁寧に切り取った朝井リョウの「何者」の映画版のコピーも「この中で人間として1番価値のあるのは誰だ」みたいな感じだった。


おそらくそれは今まで点数勝負の世界であったからだろう。中学というバラエティ豊かな動物園の中で、輪切りにされた学力で高校に入る。更にその規模を全国に広げ、大学では1点2点の世界で更に篩にかけられる。


今まで答えを用意した奴が評価されたのに、急にその物差しはグニャグニャに曲がり、採点はブラックボックスにぶち込まれる。

急に尺度がわからなくなった勝負の中で、就活生は内省できるものとして今までの人生を挙げてしまう。


しかし、少なくとも新卒採用の就活は決して人間性の勝負ではないように感じた。印象操作だ。利益を出せる人間かどうか。


馬鹿でもペーパーテストにイカサマのチャンスは平然と与えられてるし、裏道もたくさんある。いかなる手を使ってもこいつが欲しいと思わせられるか否か以外はどうでもいいことだ。


どんな就活生でもどの業界も百戦錬磨みたいなやつはそうそういない。服や味の好みが人によって違うように大方にウケる人はいるが、100パーみんな好きってのはありえない。


何が言いたいかって言うと、面接に落ちても人間性がどうこうじゃないよってことがこの記事を通して就活生に伝わればいいな、と思う。


俺は受験を失敗した強迫観念に駆られて、クソみたいに就活漬けだった。

これ以上道を踏み外したら終わると思っていた。コミュニケーションという自分が得意とする場面で道を踏み外したら、自分が今まで享受してきた「普通」は手に入らないと思っていた。


昨日、家ついてっていいですか?みたいなテレ東の番組をみた。


亜細亜大学の端正な男子学生が、50社落ちて彼女と別れてしまったという内容だった。


でも彼の部屋は友人からの贈答物で溢れて、人望というほど高尚ではないかもしれないが、彼が仲間内でどんなポジションなのかは想像しうるに足りるだけの情報だった。


きっとそいつが周りにいるだけで、周りのやつは元気になるそんな感じのやつの人間性が富んでいないとは言い難い、でも就活は弱かったのだ。でも確実に人には求められている。頑張れ、就活生。


そして別の話では高校を2ヶ月で退学になった人がコカインやって前科ついても、セラピストとしてなんとか生きていた。


めっちゃいい顔で笑って、幸せだと言っていた。

自分が思っているよりも、レールの外に道はあるのかもしれないと思った。


おわり(・ω・)


もうちょっと面白い記事を書きたい

今自分のブログまじまじと見たんですけど、めちゃ暗くないですか?

初見だったらこいつ親でも殺されたんか?!ってなりますね。


仮に生きてる俺を知らずしてこのブログ読んだら、まじで部屋の隅で延々とヒヨコのオスメス分けてる様な暗い奴だと思われてしまうなと感じ、明るい話題を模索しています。


でもさ、大抵主張したい事にポジティブなことってないよね。楽しいってそれだけで至上、裏も表も煮ても焼いても楽しいもんね。


最近思うのはなんだろ。生まれて初めて海外(台湾)に行ったんだけど、あんまり外国って感じしなかったかな。ブレードランナーの世界みたいだった。


ひたすら飯が旨かった。臭豆腐はめちゃ臭かった。でも嗅いでしまう。俺は絆創膏についた膿とか臭いと分かっていてもとりあえず嗅いでしまうタイプの小学生だった。告白します。


あと思ったより英語も日本語も通じなくて、ゴリゴリ中国語でガン押しされた。郷に入っては郷に従え。社会の厳しさを知った。


昔は中国語と韓国語で「先生単位を下さいお願いします」だけは言えたんだけど、今はシェンマしか言えなかった。


それと現地人でも観光客でも綺麗な人が多くて「あのお姉さんかわいい」を「おいしい」よりも確実に多く言ってた気がする。


そういえば台湾のでかい寺に行ったんだけど、なんと台湾の神は願い事にYESorNOを突きつけるシステムだった。


お願いしてから2枚の木の札を投げて両方違う面が出ればオッケー、でなければやり直し、3回ダメだとその願いを取り下げて別の事をお願いするというかなりエンタメ色の強い感じだった。


俺はとりあえずやりたい仕事につけたし、これは虚飾なしで社会人になっても友達と楽しい生活を送りたいって願ったら1発で通って、出世とお金持ちを願った友達はやり直し食らってた。笑


結局友達もハッピーライフを願うまでお願いをやり直しさせられてて、台湾の神恐るべしってなった。



とりあえずおわり(・ω・)


 



捨てることと嫌われること

人間には得意不得意がある。


俺は捨てることがめちゃ苦手だ。


先生になった時に使うかもしれないと、自分の履歴書に載らない大層な名門校の赤本をずーーっと本棚1番上で温めていた。


ポケモンで言えば、げんきのかたまりが使えない。


ゼルダ64で言えば、青の薬が使えない。


ファイナルファンタジーで言えば、ラストエリクサーが使えない。


初めてキスをした女の子からのラブレターだって、いつかスナイパーに胸を撃ち抜かれた時にたまたま俺の胸ポケットに入ってて銃弾止めてくれるかもしんねぇな、とか思うと捨てられない。


とにかく、居合斬りの瞬間を待って待って、今だ!と思う頃には自分の首が落ちてるか、仲間が敵の首を刎ねてくれてる。そんな男なのだ。自分ではタイミングを逃し続ける。


これは慎重であるとか、男らしくないとか、用心深いとか、思い切りがないとか、身長が低いとか、周到とか色んな言葉に置き換えられる。


そんで人間関係にも完全に敷衍して当てはまっていて、人に嫌われるのが怖いが故に常に言葉の裏を考えてしまう。


「どれどれ?彼女この人?うわめっちゃいい子そう〜!」は「別に可愛いくねぇな」を


「行けたら行くわ」は「めんどくさい」を


「これはマニアにはたまらない一品ですね」は「言うほど美味しくない」を


「電車遅れててさ」は「うんこなう」か「今電車乗るわ」を含んでいることが多々あると思って聞いている。


最近人にわかってもらえないな、と思うことが増えた。


自分が本当に喜んでることが信じてもらえなかったり、相手が言う俺がこういうことが好きでこういうのが嫌いみたいな事が、てんで外れてたりとかそういうのが多い。


相手の言葉の裏を探しに探して、空港ばりにボディチェックとかしちゃって、傷つかないようにと必死な俺の猜疑心が臭いみたいに相手に伝わっちゃってるって事なんじゃないかなって思う。


構え過ぎてる結果、相手の中の自分の言動とか印象の一致が起きなくて輪郭がボヤけてきちゃうみたいな。


もう少しナチュラルにいれたらと思うんだけど、新しい環境や分析しきれてない人の前ではすっかり借りて来た猫、相手を観察する事に徹してしまう。


強く、優しく、正しくいるなんて事はできない。その全てが矛盾しているからだ。立派になんてなれない。


だからせめて、優しくいたい。今、自分には優しいが他人には優しくできていない。


甘やかす事と優しくする事は同義ではないところまでは、思慮分別があるつもりだ。


優しくいたい。オロナインのように。バファリンの半分のように。


おわり(・ω・)