死ねとかキモいとか毎度凹む
今日は携わってるコンテンツの言わば発表会みたいなのがあって、その視察に行った。
箱はまぁ遠くて、遠くて遠くて、小牧長久手って感じだったんだけど(日本史専攻じゃない人ごめん)
自分が携わってるものを待ってる人がこんだけいて、こんだけ楽しんでくれて、普段はパソコンに向かって延々マウス動かしながらうんこしたいって思ってるだけだけど
ブラウン管?ブルーライトの向こうにはまじで生身の人間がいて、自分が作ったビラの向こうに1万人の顔と人生があって
「明日が楽しみ」って言ってるのを今日の視察のすれ違いざまに聞いて(イベントは3days)
本当に本当に嬉しくて、キラキラ社会人を気取るわけじゃないけど、本当に色んなことを諦めなくてよかったなって思った。
なんかよくわかんないけど、今の会社がダメだったら行こうと思ってた会社のやつらとなぜかまだ縁があって、イベント終わりに全国転勤から一時研修で帰ってきた何人かが電話をくれた。嬉しい。
大人になったら、社会人になったら、もう友達は増えないと思ってた。
父親は生まれてこのかた千葉の片田舎にずーっといるのに、友達と遊んでるところは見たことがなかった。
俺は自分でもなかなかいい奴だと思ってるし、他人に好かれる不断の努力はしてるつもりだけど、そんなに素直に求められると、自分にそれほどの価値があるのか疑問視してしまう。
変なところには自信がない。くそ嬉しいけど。ある一面に関しての自信は鋼の如しだけど、その対面はガラスだったりする。
友達と知り合いやその他の違いは、どんなに忙しかったり疲れてても会えるかだと思う。
この気持ちみたいなのを、なんとなく書き留めて、誰かの目に触れることで、素敵な何かが起こればいいなと思った。
話は変わって、大学に入ってから自分のキャラを少し変えた。高校の頃はピエロにだけはなりたくなくて、どっかでカッコつけてたけど完全にここ何年かの振る舞いはピエロそのものだった。その方が楽だった。その分モテなくなったけど。
会社でもそのキャラの方がやりやすいかな、と思ってキャラを貫くんだけど、キモいってツッコミが来るであろうことをした時に、ナチュラルにキモいって言われると、ちょっと凹んでしまう。
思えば大学までイカれてるはまぁまぁ言われてたけど、キモいとか死ねとかはあまり言われなかったから耐性がまるでない。他人にはめちゃくそ言ってたけど。殺すぞ、はなんとなく愛を感じる。わかるこれ?
社会人になって、一応自分で金を稼ぎ始めて、親にも対等な口をきいたりするけど、大学四年から最近の自分はちょっと慇懃無礼だったかなと内省した。
またまた話は変わって、先日会社の同期と伊豆ぐらんぱる公園に行った。白痴の如くにトランポリンに興じた。
知ってる?30秒トランポリンで跳ねると地上でジャンプできなくなるんだぜ。びっくりしたわ。ハンガー頭につけて首曲がる奴と一緒。
酒なんか飲まなくたって、その勢いで悪口ぶちまけたり女の子のおっぱい触んなくたって、楽しいことはたくさんある。
最近忙しいとか疲れたを言い訳にしてたから、もっと楽しいことをしようと思った。