座右の銘「グーで殴る」

セカンド童貞がお金持ちのお嬢様のリムジンに轢かれた事をきっかけに逆玉に乗るまでの日々

光陰矢の如し

このブログを書く前、日高屋でラ餃チャセットを食べた。

550円だった。予定調和な美味しさがたまらん。

油脂を食べると脳が興奮部質を出す、なんて言われてる。

10時間ほど何も与えなかった胃に、クソほどトランス脂肪酸をぶち込むと、確かに明日もまた頑張れる気がするのだ。

ラ餃チャセットとは、半ラーメン、餃子3つ、半チャーハンを一度に楽しめる、言わば中華料理の酒池肉林の権化だ。カロリーのキングギドラ。炭水化物のユニゾンスクエアガーデン。塩分のトリリンガル

これを550円で食えるうちは日本は廃れちゃいない。黄金の国、ジパング

ラ餃チャセットを食いながら、特茶をがぶ飲みした。Wすこやか茶は毎食摂取が前提だし、黒ウーロン茶も2本程度が目安だったはず。

特茶飲むくらいなら、脂肪のハットトリックことラ餃チャセットなんて嗜むなよ、と思うなかれ。

社会人になってからこんな感じだ。

今日で社会人2年目になった。
正味まだわからないことだらけだし、なんなら今日もだいぶ初歩的なミスをやらかした。

働くことって痛いなって思った。
ダサいって意味の痛いじゃなくて、SAWかなんかでカミソリの檻に閉じ込められる奴があったと思うんだけど、あんな感じ。

自分は特別だと学生の頃はよく思った。今もだけど中高は睡眠をコントロールできず、よく授業中に寝ていた。

大それたテスト対策をしなくても、平均より上の点数を取れる自分のことを割と好意的に見ていた。

特別だ。という自意識は、努力から逃げる口実を作る。

だって、特別な自分は、人と同じ努力量で、同じだけの成長幅しか持てなかったら、特別ではなくなってしまうからだ。

いつだって怖かった。自分の可能性の底を見るのが。100%の努力をして、自分ができると思っていたことができなかった時、何かが崩れてしまう気がした。

社会人になってから、嫌でも自分の底をまざまざと見せつけられる。

もう自分が特別ではない、次の山にいることを理解させられる。

同期は優秀で、それこそ「頭がいい奴」へのカウンターとして、自分の握りこぶしの中にあっためてきた、ユーモア、雑学、カルチャーへの知識、どれをとっても勝てない奴が多い。

自分が切り札にしていた「勉強以外に大事なことがある」という常套句に対して、「勉強以外の大事なことのために勉強してきた」人たちに囲まれてしまった。

会社は至極単純な構造で、できる奴には信頼がつき、どんどん仕事が降ってくる。数で信頼が見える。

もう努力しない理由は見つからなかった。痛くて、厳しい。

仕事は見えないピアノ線で、何も問題ないと思って進めば、右手首が切落とされている、みたいなことがザラにある。問題の輪郭が見えない。

それでも、いずれ自分がしたい仕事をするために、価値があると思うことを実現するために、痛くてみっともないけど、やるしかない。

もう先生や教授はいなくて、目の前には上司という評価者しかいないのだから。

だから、今日ももう、どんだけ食っても腹に肉がつかない時期は終わったことを認め、ダセェなと思いながら特茶とラ餃チャセットを食うのだった。

痛みを、自分の非を認めながら、欲望に甘んじつつ、自分は特別でないことを噛み締める。

金曜日までの4日間、まだまだ戦わなかきゃいけない。

まだまだ。